仕事観に対する多様性が叫ばれるなか、「仕事でやりがいを見つけなさい」「仕事に情熱を持ちなさい」などとはよく言われます。そうは言われても面倒なことは面倒。しんどいものはしんどいです。
そもそも、「仕事に対して情熱を持っても大丈夫なのか??」を研究したものがありました。
情熱搾取の正当化
デューク大学のフュークワビジネス校による研究で、8つの研究を総合調査し、計2400人からわかったことがあります。
・情熱的な人が、過酷な状況に陥っていても助けようと思わなくなる。
(=「情熱搾取の正当化」)
人間は情熱的な人が搾取されているのを見るとこのように思う傾向があるそうです。
・たとえひどい仕事でも、彼は情熱的だからこの仕事に自ら志願したであろうと思ってしまいがち。
・きつい仕事だけど、彼は情熱的だから満足しているはずだと思ってしまいがち。
・情熱的な人は、無給であっても、過酷な仕事であっても容認できる
と人々は思ってしまうようです。うーん、わからなくもないけど酷すぎないか。
さらに、各研究結果をさらっとお話すると、
研究1、参加者に、あるアーティストが「彼/彼女は情熱を持って仕事しているんですよ〜」と知らされた時、そのアーティストが上司に搾取されても、情熱のない人に搾取するよりは正当だと感じた。
研究2、伝統的なものに情熱を燃やしている人に搾取する方が、店員や、事務作業などをしている人に搾取するより正当だと感じた
さらに恐ろしいことが、逆に、すでに搾取されている人は周りから情熱的だから仕方ないと判断されやすかった。
このようなことから研究者は、現在の仕事観に対する警鐘を鳴らしています。
「仕事の中で情熱を見つけることに重きを置かせる現在の文化では、不当な労働を正当化したり無視したりするような人には、受け入れられるべきではない」と語っています。
Understanding contemporary forms of exploitation: Attributions of passion serve to legitimize the poor treatment of workers.
http://dx.doi.org/10.1037/pspi0000190
確かに情熱がある方が仕事への満足度、給料への満足度、生産性が高いなどの研究はあるものの、周りからはこんな風に思われたり扱われたりするのは如何なものかと思いますので、きっぱりとNO!という基準も持っといた方がいいかもですね。。